上田市立美術館 第8回 山本鼎版画大賞展 作品募集

上田市立美術館 第8回 山本鼎版画大賞展 上田市立美術館 第8回 山本鼎版画大賞展

審査員(50音順・敬称略)

岩渕貞哉
『美術手帖』編集長
遠藤竜太
版画家・武蔵野美術大学教授
木村秀樹
画家・版画家・京都市立芸術大学名誉教授
倉地比沙支
版画家・愛知県立芸術大学教授
古谷博子
版画家・多摩美術大学教授

講評

審査員長
木村秀樹 
画家・版画家・京都市立芸術大学名誉教授

審査員

— オーソドキシーの中の逸脱 —

 発生当初の想像を遥かに超えた深刻さで我々を脅かし続ける新型コロナウイルス。この世界的パンデミックに抗うように第8回山本鼎版画大賞展には前回を大きく上回る応募作品を得て、改めて日本の版画制作の活況を再認識する事となり、関係者一同、喜びと共に心強く感じた次第である。
 第8回展における最大の改革点は、作品の応募から第1次審査までのプロセスをオンライン化した事であった。デジタル画像データによって審査を行う事に対する弊害や困難はさまざま予想はされたものの、十分な時間をかけて慎重に審査する事が出来る等、結果としてはそれを上回る収穫が得られたものと思っている。今回入賞された9名の方々をはじめ、入選した156点の作品の充実ぶりをご覧頂ければ御理解頂けるものと確信している。

 今回の大賞受賞作品、芦川瑞季さんによる《親和力》は、リトグラフの単色1版による作品である。白い紙の上に墨一色、というシンプルな版構成で出来上がっている作品ではあるが、そこには独特の重層性/多層性が見てとれる。それは版面上における描画材の駆使による描きと、おそらくはモニター上で、すなわちデジタルプロセスの援用による描き、別々の二者の唐突な合体、あるいは仕組まれた裏切りから来るものではないかと、観る者の想像力を柔らかく刺激する。デジタル環境を自明のものとする世代が取り組む版画作品の、新しい成熟の方向を予感させ、審査員全員一致で選出された。

 準大賞に選ばれた、大塚美穂さんによる《untitled》もまた、銅版画のエッチングというオーソドックスな技術を使用しながらも、微妙な逸脱を実現している作品である。その画面には、漫画から引用された?無数のキャラクターが、びっしりとオールオーバーに描き込まれている。作者は、全体の構成など気にかけず、ひたすら細部の描き込みに精神を集中させたのであろう。さらに作者は刷り上がった作品を、そのイメージが3センチほどの厚みのパネルの側面からも見えるように配慮しつつ水張りし、完成としている。鑑賞する距離や角度によっては、細部の集合としての表面上に波状の奥行きを錯視させるユニークな作品となっている。

 同じく準大賞に選ばれた、鶴田功生さんの《再生龍》は、分解と再構築とも言うべき方法論によって制作されている。画面中央には龍?あるいは大樹を想わせる形体と、その周りを飛び交う蝶々が配置されている。一見シンプルなイメージだが、実はこの一連のイメージは、木口木版によって刷られた版画を一旦小さな断片に分解し、それ等を再度画面上でレリーフ状にコラージュするというプロセスを経て作られている。あえて二重の手続きを通過させる事によって得られる画面のユニークな質に可能性を感じさせた。
 サクラクレパス賞には、川村景さんの《美しき敗北主義者達!》が選ばれた。断片的なイメージが、白いキャンバスの上に、カラフルな色で刷られている。配置された個々のイメージの喚起力と、明るい色彩から来る解放感の共存が好感された。

 優秀賞5点の作品は、その個性と完成度によって審査の最終ステージまで勝ち残った、いずれも強い力を持った作品である。それぞれの版種が持つ特性とイメージとの関係において、率直、ストレート、ブレの無さ、を共通した特徴として指摘しておきたい。

 今回のオンライン応募に際して、作者の自由意志ではあるが、制作への想い等を記入する欄が設けられた。そこには現下の新型コロナ感染状況に対する鬱屈した精神状態が切々と綴られたものが少なくなかった。しかしそのような状況であるからこそ見出された希望が、版画制作であり、その結実が応募作品であったと理解している。展覧会場に展示される作品点数は、残念ながら限られたものにならざるを得ないが、今回入選や入賞を逃された方々には、今一度版画制作の面白さや喜びという原点に立ち戻って頂き、新たな希望を紡いで行かれますよう祈念してやみません。

岩渕貞哉 
『美術手帖』編集長

審査員

 新型コロナウイルス感染拡大の影響で開催が1年延びたからか、また一次審査が画像審査となりより若い世代が応募しやすくなったからだろうか、明らかに世代交代が進んだのが今回の特徴と言える。激戦の審査を経て入選した作品のなかでも、とくに印象に残った作品について書きたい。

 大賞の芦川瑞季の作品は、身近ななにげない風景の描写に唐突ともいえるマンガ的なタッチの人物や事物が差し込まれる。複数の空間と時間(や物理法則も?)が重なったような画面は、観る者がそこに折り畳まれた世界を解きほぐしながら開いていく魅力がある。
 準大賞の大塚美穂の作品は、マンガのキャラクターやゲームのアイコン(そして空隙には特徴的な花びら)が緻密に描かれ、作品の側面も含めてフラットに覆い尽くされている。そのオールオーバーな画面は、絶妙なバランスで成り立っていて、その表面張力のような緊張感が心地よい。
 優秀賞の朴愛里の作品は、《1992年、結婚式》と題されているように、家族の記念写真をもとに描き起こしていたものだろう。在日韓国人・朝鮮人の歴史と生活を銅版画の制作過程を通じて、そこに生きた人々と作家の思いを重ねながら摺り出していく作業の真摯な手つきに感銘を受けた。

 最後に、作村裕介の《モルタルを運ぶ人》を挙げたい。作村が左官屋として日々働いている現場での職人の様子が描かれているのだが、モルタルと運搬車と一体となったような肉体は特異な存在感を放っている。過酷な肉体労働の合間を縫って制作された木版画は、サイズも大きくなく彫りの技法も単調と言っても良いものかもしれない。しかし、私はこの木版画に山本鼎の運動・思想からの遠いこだまのようなものを聞いた。

遠藤竜太 
版画家・武蔵野美術大学教授

審査員

 コロナ禍によって1年の延期を余儀なくされた第8回展は、実行委員会と事務局の努力で、なんとか無事に開催にこぎつけた。心配された出品者数も増加に転じ、応募作品の水準も高く、充実した展覧会になったと思う。画像のみで行う第一次審査の方法に懸念する面もあったが、むしろ時間をかけて安定した基準で選考できるという長所を感じた。このようなハイブリッドでの審査は、今後定着していくのかもしれない。

 さて、実作品を前にして行われた第二次審査について記す。前回の講評にも書いたが、私は「独自性」と「同時代性」という要素を重視している。版画は技法の持つ特性が表現に強く作用するので、どうしても類型的な作品を生みやすい。そのため、美術としては自明のことだが、技術・技法を如何に独自な表現に結び付けているか、そしてそれは同時代のものとしての共感や驚きを伴うか、ということを敢えて意識して審査を行った。以下、受賞作について順に触れていく。

 大賞作品の《親和力》は、写生と漫画という異なる次元の要素を混在させ、リトグラフのプロセスによってさりげなくそれらを同質なものとして統合している。仮想と現実が交錯し、当り前であった虚実についての認識をも揺り動かされている現代社会の状況を、クールに反映した秀作だと思う。
 準大賞の《untitled》は、独自のアイコンで画面を緻密に埋め尽くした銅版画を箱型に立体化している。プレートマークなどの従来の銅版画のフォーマットからは逃れつつ、腐食による表情豊かな線とインクの質感の魅力のみを抽出し、その表面性を提示した作品は、圧倒的な存在感があった。
 もう一つの準大賞の《再生龍》は、版画をパーツにして幾重にも鱗のように貼りこみ、レリーフ状に迫り出す龍を作り出している。タイトルからすると、摺り損じを再生したのだろうか。いずれにせよ版画の複製性を利用して立体的な表現に発展させたアイデアの明快さが、この作品の魅力である。
 サクラクレパス賞となったステンシルによる《美しき敗北主義者達!》は、画面に配された図像の意味とその相互の関係性に興味を引かれた。また、構成・形態・色彩にも良い意味での抜け感があり、全体に作者の感性の鋭さを感じる。

 優秀賞の5作品には、多種多様な作品が選ばれている。《1992年、結婚式》は、記念写真らしき瞬間が描かれているが、そこには記憶や懐かしさとは違う、作者自身の生な感情が静かに現れている気がする。《なおちゃんとねこ》は、対象へ注がれる作者の愛情が、膨大な手数で丹念に刷り上げる実直な姿勢と重なり、作品のリアリティーに結びついている。《three flowers》は、造形的に洗練された植物の形態とそれが織り成す絵画空間が魅力的である。版画の持つ明快さが直截な表現を引き出しているのだろう。《水神様の眠る町》は、積まれた建造物の過度に叙情性を含まないイメージと水準の高い伝統木版画の技術が合致し、心地よい画面を構築している。《モルタルを運ぶ人》は、プリミティブに板を刻んで自己を表現する行為の強さが表れた、まさに版表現の原点を思い起こさせる作品である。

 上記の受賞作以外にも気になる作品がたくさんあった。デジタル技術を応用した作品、石版石を使ったリトグラフ、精緻な銅版画、実験的な木版画、等々挙げればキリがない。そのような作品に囲まれて感じたのは、版画へのアプローチが劇的に多様化していることである。今回の展覧会では、鑑賞者に是非その多様性を見ていただきたい。

 最後に、控室での雑談で米津福祐実行委員長が何気なく語った話が印象的だったので簡単に紹介する。それは、「私も絵を描くが、『自分が直接感じたものが尊い』という山本鼎の言葉がすべての基本」という内容であった。今でこそそれは当たり前のことのように思っているが、言うまでもなく現在の日本の美術教育の礎となった言葉であり、あらためて山本鼎の業績の偉大さを思い起こす話であった。版画はこうあるべき、という教えに捕らわれることなく、自分が直接感じたものを大切にしているだろうか。私はそのように自問しながら審査室に移動したのである。

倉地比沙支 
版画家・愛知県立芸術大学教授

審査員

第8回山本鼎版画大賞展の審査を振り返って

 東京オリンピックと同様の2020年、3年ぶりの審査と展示になるはずであった第8回山本鼎版画大賞展。未だかつてないほどの未知のウイルスに晒され、公募・審査・展覧会が、大幅な延長や計画の見直を余儀なくされるなど、翻弄され続けた1年となった。2021年6月から7月、ようやく審査が行えたことは、ウイルスに振り回されてばかりはいられない、関係者の熱意と柔軟性無しでは、成し遂げられなかったであろう。そして1年以上もの間、しびれを切らせずに応募してくださった版画作家の皆様には、こころより賛辞を申し上げたい。
そうした中での2021年7月31日、濃緑の山々が連なる夏の上田は、審査のために訪れた私をいつも通り受け入れてくれた。

 今回はデジタル画像審査による2段階選抜の導入という、大きな改革と転換を取り入れた。過去数回に渡り応募者数が減少傾向にあり、また若手作家の認知度向上と応募しやすさも考慮し、海外コンペティションでは一次審査で常用されているWEB審査を導入することで、応募者数増と応募層の多様化を目指した。自刻自摺という創作版画運動の原点を踏まえれば、データ審査で版画表現の持つ素材感や抵抗感などの独特の手垢が読み取れるのか、一抹の不安はあったが、一次の画像審査では素材感や物質感が無いことで、視覚性や作品の構造が際立ち、技法や材料にたよる技巧偏重の落とし穴にはまりにくく、作品から伝わる大きなメッセージ性が読み取りやすくなったと感じた。そして現物による二次審査では、逆に素材や技巧、そして版画表現独特の手垢感が新鮮に読み取ることができ、審査しやすかったのが率直な感想である。以前とある学芸員から創作版画運動の自刻自摺という言葉は、明治期に登場した機械式リトグラフ機と一線を画すための対峙的な意味もあったと聞いたことがある。この甘美な言葉は、自分で彫って摺っているから優れているという意味だけではなく、美術のなかで版を使用してどう自立しようとしているのか、なぜそれを使うのかと言う立脚点を絶えず考え続けることが、自刻自摺の底意と繋がるのではないかと考える。

 大賞となった芦川さんは、モノクローム一発摺りの簡潔なリトグラフ作品で、軽妙なタッチやコントラストが様々な現代の視点を入れ子のように混在させた。一見さらっと描き上げたように見えるが、練り上げられた画面から綿密で複雑な多視点の構築性が伺える。
 準大賞の大塚さんは、ウェブ・SNS・デジタルツールが身近に存在し、等価された膨大な情報から様々な自身の嗜好のみ抽出し、ひたすら500年前のエッチングの手法で側面までも描き切る執着心が良い。また、エッチング特有の盛り上がった物質的な線刻による様々なキャラクターは、バックライトとガラス面の平滑性では得られない別の次元へといざなってくれている。
 同じく準大賞の鶴田さんは、龍と言う東洋的で古典的な題材を、子細な刻線を要する木口木版を使用して、摺られた紙片をレリーフのような立体的に手間暇かけて組み上げている。蝶・木肌・イソギンチャクなど木口らしい題材を扱いながら、作者が生きている同時代性を醸し出しているから不思議である。
後に続く受賞作品はいずれも甲乙つけ難い力作であり、紙面上省かせて頂くが、受賞にふさわしい秀作であると自負している。

 今回の新たな審査方法の導入により、応募者数と世代層は大きく広がった。今後も様々な世代と地域からの応募を募ることが、山本鼎版画大賞展の版画表現の充実、ひいては日本の版画表現の層の広がりに繋がると、審査した作品を前に確信した。

古谷博子 
版画家・多摩美術大学教授

審査員

 新型コロナウイルス感染症の世界的な蔓延という、未曾有の事態の中で、展覧会の中止・延期等、美術の世界も大きな影響を受けています。第8回山本鼎版画大賞も例外ではなく、昨年開催の予定が延期されました。この情報が錯綜し不自由で制約のある状況の中、図らずも我々は、しっかりと足下を見る機会を与えられたように思えています。
 今回、初めて審査に当たらせていただくうえで、改めて山本鼎が導いた創作版画運動という版画の概念に目覚めた作家たちへ思いをはせ、原理に立ち返って審査に臨むよう強く心がけました。

 再開された審査は新しい試みとして一次審査は画像データをオンラインで選考し、二次審査は一次審査を通過した作品のみ現物を搬入して会場で行いました。オンラインでの一次審査は直接作品を見ていないため、インクの物質感や素材のテクスチャー等の差異が伝わりにくい部分もありましたが、作品の構造的な部分やイメージの捉え方が、よりストレートに見えることが利点となっていたと思います。また何度も作品を見直せることで、より丁寧に作品と向き合える時間へと繋がったと感じています。

 入選作品は、どの作品も制作者の個性や技法の多様性のみならず、安定した完成度の高さがありました。
 まず、大賞を受賞された芦川瑞季さんの作品《親和力》は、誰もが目にする日常の風景の中に複数の断片的なイメージが混在しています。そして、画面としての調和をあえて否定するかのようにモノクロームの表現を使って再構成されていて、その不安定さは、情報社会の中で「答え」を不明瞭のまま、今存在している現象だけを自立させ、それを見つめ続ける場を作りだしているように感じました。

 準大賞の、大塚美穂さんの作品《Untitled》は、銅版の技法を使ったオールオーバーな作品で、版と長い時間かけて対峙する中から生まれた線や点の集積が圧倒的な力となって迫ってきます。インクが圧縮されてできる図像となって立ち現れている画面から目が離せなくなる作品です。
 同じく準大賞作品、鶴田功生さんの《再生龍》は、ビュランで繊細に彫ったイメージをコラージュすることで、木口木版という小さい版木から大きな世界へと展開しています。版画の特徴の1つである複数性を活用し、同じ版から刷られたイメージを増殖させ画面を豊かにしていす。また、和紙をレリーフ状に貼り合わせることで立体感を生み出し、平面性を超えた空間の出現に成功しています。
 サクラクレパス賞の川村景さんの作品は、複数の非意味的なものの断片が接続と切断を繰り返しながら構成され、終わりのない答えを探しているように感じました。そして《美しき敗北主義者達》というタイトルの意味を見る側へと問いかけているように感じられました。

 優秀賞の朴愛里さんは、作者自身のルーツから発せられるメッセージ性が、エッチングの線の痕跡となって画面の中に凝縮されています。パズルのピースのように色面を組み合わせた、三宅葵さんのシルクスクリーンは、独特の平面的空間が評価されました。松尾華子さんは、緻密に計算された画面構成が見られ、また紙の存在が支持体としてだけでなく、むしろ表現として重要な要素となっています。山田心平さんは、架空の建物を木版ならでは色面の微妙なトーンの変化を孕んだディティールが美しく、圧倒的な技量が画面をささえています。
 作村裕介さんは、多くの版画技法が氾濫する中で、彫られた刻線は素朴でシンプルですが、墨一色のプリミティブな力強い画面を成立させています。

 延期された応募でしたが、前回より応募者、とりわけ若い人の応募が増えたことは嬉しいかぎりです。今後も多くの困難が続いていくと思いますが、改めて版画というメディアのアイデンティティを見つめ直し、時代とともに可能性を拡げていって欲しいと願います。
 最後に、このような時期に、版画大賞展の再開のため、ご尽力された多くの関係者の方々に、心よりお礼申し上げます。