【レポート】内藤裕敬さんとプロジェクト 市民参加リーディング公演「呼吸するような思考なのかな」
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市民参加リーディング公演「呼吸するような思考なのかな」
- 開催日
- 時間
- 14:00~
- 会場
- サントミューゼ 大スタジオ
「問うこと」を問いかける言葉
四方を客席に囲まれたフラットなステージ。若者から中年まで12人の男女が静かに現れ、おもむろに床に寝転がります。

少しすると一人ずつ起き上がり、誰に向けてでもなく、言葉を放ち始めるーー「考えるってことは、音のない所で微かに響く余韻に耳を澄ませる感じで」「社会は早くて、言葉は遅くて」「感情は置き去りにされるようで」。



台本を手に、5人の俳優と市民のアンサンブルキャスト7人が言葉と動きを交差させるリーディング劇。台詞に繰り返し現れるのは「問い」というフレーズです。「問いは苦しみと一緒にやってくることがあって」「問いは夕日の影のように残る」。いずれも断定せず疑問形で、“問いとは何か”を、まさに「問う」ことを続けます。

セミの声が響き、舞台は夏に。昨今の酷暑について話すうち「答えはないけど話し続ける。井戸端会議!」。誰かが叫び、2、3人ずつ集まって個別に対話を繰り広げます。キーワードは小諸市に伝わる民謡「小諸節」の継承というテーマ。「続けることに意味があるのか、それとも終えるべきなのか」。また問いが生まれ、悩みながらそれぞれが思い思いの姿勢で歩き回ります。冒頭にあった「考えるってことは、音のないところで微かに響く余韻に耳を澄ませる感じで、目に見えないものを見ようとするみたいで」という台詞がリフレインされ、「見えないもの」は過ぎた時間、歴史も含むのかもしれないと気付かされます。

街に降り積もる「問い」
「子どもの頃、祖母からの問いかけがあっただけで一日が違った」「問いは消えるものじゃなく、育てるものなのかもしれない」。編み出される言葉から、「問い」とは世界の見方そのものなのでは、と感じました。問いは答えとセットであり答えこそが重要だと思いがちですが、そうではなく問いを持つこと自体に意味があるのかもしれない。さらには言葉にする前の、思考をめぐらせる瞬間こそが豊かなのかもしれない。時折、12人が声を合わせて奏でるように「問いは!」と言葉を発するたび、観る側が問われているかのようでした。

シーンが変わり、どこかの高台から上田の街を見下ろす12人。

「街の景色が変わるたびに、住む人たちも問い直す」「上田の街は問いの庭」。街と自然、記憶。移ろうものの中で問うたびに、思考は蓄積されていくのでしょう。


最後は一筋の光の中で小諸節を歌い、幕が降りました。

終演後、お客様の感想を聞きました。塩尻市から訪れた女性は「演劇ではなくコンテンポラリーダンスを見ているような、不思議な感覚でした。群像劇を前提にしているのか、誰がどのセリフを言っても良いつくりだからなのかもしれません。一回きりの公演ではもったいないほど」。上田市の男子大学生は「今は“正解”や“効率”を求めがちですが、自分は何のために、どこに向かっていくのかということを突きつけられた気がしました」と話してくれました。
取材・文:石井妙子
写真:金井真一