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【レポート】青年団プロデュース公演『馬留徳三郎の一日』

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2020.12.25(金)・26(土)

 

パンフレットに記された演出家・平田オリザさんの一言が『馬留徳三郎の一日』という劇を紐解く糸口になりそうです。それは「日常の迷宮」。日常とは取り留めもなく繰り返される日々の暮らしであり、取り立てて語ることもない平穏な時間。その日常(単純)が、迷宮(複雑)になる。私たちの何気ない日常/さりげない普通は、実は日常でも、普通でもないのかもしれない。そんな考えを想起させる、※滋味掬すべき作品です。

※滋味掬すべき(じみきくすべき):深い味わいをくみ取るべき

 

舞台は地方都市の小さな集落にある馬留家。蝉が鳴く、甲子園の高校野球中継が聞こえる盛夏。家主の老夫婦・徳三郎とミネの元へ、近所に住むたーさん(田所茂雄)が訪ねてくるところから迷宮の物語は始まります。縁側で語られるたーさんと徳三郎の他愛もない(それは本当に取るに足らない、たとえば加山雄三と桂歌丸が同い年だとか・・・)会話と、それを耳にしてしかめ面のミネ。彼らの周りで繰り返される日常、普通、平凡、通常の一コマ。そこに僅かな変化をもたらしたのは、何ともオーソドックスな特殊詐欺の電話。そこから彼らの日常はゆっくりと迷宮化していきます。

 

 

東京からやってきた詐欺師。都会から移住した老女。その土地で代々暮らし続ける農家。次々と舞台に現れる人々や些細なトラブルは、どこかで聞いたことのあるような、でも本当に存在しているのかわからないような、どことなく漫画的な印象を纏っています。日常の中の記号化された人物をめぐるエピソードは、馬留家を起点にして渦巻のようにぐるぐると、※環の端無きが如し日常を生きる姿として描かれています。また、舞台美術の中にも豚の形をした蚊取り線香の器、鮭をくわえた熊の木彫りの置物など、「日常の中の記号化」を感じさせるモノたちがさり気なく配されていて、古き良き?ともどこか違う不思議な時代の空気を感じさせます。

※環の端無きが如し(たまきのはしなきがごとし):巡り巡って終わりがない

 

 

とにかく目の前で起こっている出来事や会話はいったい何が事実で、何が嘘なのかがわかりません。まるで漫才のようなやり取りが続きます。数分前までの真実がいとも簡単に、何とも自然にひっくり返され、何だ、嘘だったのか!と思った矢先に、今度はその嘘が真実のように解釈できる台詞がこぼれ落ちます。立派な縁側のある日本家屋を舞台に、人々の会話と幾つかのエピソードが堂々巡りする様子は、まさに「日常の迷宮」なのです。

 

※時化(しけ)と凪(なぎ)を繰り返すような劇は、馬留夫婦のやり取りで終焉を迎えます。居間に佇むミネが、連れ添った夫に向かって「どちら様ですか?」と尋ねる衝撃のシーン。薄れゆく記憶。老い。※溶暗していく舞台に薄っすら見える夫婦の姿は、軒先に生える2本の枯れ木ともシンクロします。

※溶暗(ようあん):照明の照度を次第に絞っていって、舞台を完全に暗闇にすること

 

 

高齢化社会という喫緊の現実=日常を描いた本作品は、喜劇のようでありながらも日本が直面する状況をシリアスに描いた劇でした。演出家はパンフレットに寄せたメッセージを、こんな言葉で締めています。『取り戻すべき日常もまた虚構にあふれていると私は思っています』

私たちが直視すべき現実、取り戻すべき日常とは一体何でしょうか。縁側に腰掛けて考えたいところです。

 

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