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展覧会・イベント情報

シゲタくんの4コマミュージアム



アメリカを魅了した商業写真家ハリー・K・シゲタにまつわるエピソードを4コマ漫画で紹介する、その名も「シゲタくんの4コマミュージアム」。展覧会では知ることができないシゲタの世界を全5話にわたってご案内します。エピソードにちなんだ関連作品の解説とともにお楽しみください。

 

 

 

第1話 I’m Harry.K.Shigeta ― シゲタの英語力


 

 

アメリカを代表する商業写真家ハリー・K・シゲタ。その成功を支えたのは、彼の話す流暢な英語でした。

 

15歳で渡米し、商業写真家としての道を歩む中でシゲタが直面した問題、それは言葉と人種の壁。20世紀の初頭、日本人に対する偏見はまだまだ強く、仕事においても日常会話程度の英語では全く相手にされませんでした。加えて、シゲタの身長は160cmほど。もともと大柄な人が多いアメリカでは、当時、小柄な男性は引っ込み思案か喧嘩っ早い短気な人というイメージがあり、シゲタは営業先や撮影現場でも苦労したそうです。

 

ですが、そんなことであきらめるようなシゲタではありません。持ち前の負けん気の強さで黙々と英語を勉強。しっかりと語学を身に着け、交渉の場では冗談も交えながら流暢に英語を話したといいます。身長差、頭2つ分という小柄な日本人が、物怖じせず悠然と英語を話す姿に、交渉相手は非常に驚いたとか。

 

プレゼン力がものをいうアメリカ社会。写真技術はもちろんのこと、コミュニケーション力や社交性も高めることで、シゲタは信頼を勝ち得ていったのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【作品紹介】

 

《男性の肖像》 1920年代

ゼラチンシルバープリント 24.0×18.7cm

 

後ろに手を組み、一点を見据える男性。視線はそらしているものの、その目線は力強く、端正な顔立ちを一層凛々しく感じさせます。
本作品は、シゲタが撮影したアメリカの映画俳優、ウォーレス・ビアリーの肖像写真といわれています。写真の右下部にある英語のサインと“重田”と書かれた落款は、彼の初期の作品にみられるもので、商業写真家として活躍する以前の、肖像写真家としてのシゲタを伺い知ることができる貴重な一枚です。
なお、シゲタは肖像写真家として、スタジオだけでなく、モデルの自宅に赴き撮影することも許されていました。限られた環境でも撮影を可能とした彼の技術の高さはもちろんですが、訪問撮影が許されていたという事実から、シゲタに対する厚い信頼が見て取れます。もちろん、そこにはシゲタの英語力が活かされており、英語で言葉巧みに会話をする中でモデルの緊張感を解き、自然な状態を引き出し撮影することができたといわれています。肖像写真という、モデルとのコミュニケーションが不可欠な撮影をこなしていたことで、シゲタの英語力は一層磨かれ、同時に、写真家としての信頼も獲得していったのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第2話 第一印象が大事 ― ハリウッドでの苦労話


 

 

写真家の道に進んでから約10年。長くつらい下積み生活を経て高度な写真技術を習得したシゲタは、その腕を買われ、ロサンゼルスのスタジオでエースカメラマンとなり、ハリウッドスターや著名人の写真撮影を任されるようになります。このマンガは、そんなある日エピソードです。

 

映画俳優の撮影依頼を受けたシゲタは、早速、自分の車で撮影現場に向かいます。依頼を受けているので、当然通してくれるものと思っていたシゲタですが、待っていたのはまさかの立ち入り拒否。すっかり面食らってしまいます。

 

ですが、ここで帰るわけにはいきません。なぜこうなったのか考え、どうやら、古い車とよれた作業着でやってきた自分の姿がこの場にふさわしくない、と気づいたそうです。そうとわかると、すぐにスタジオに掛け合い運転手付きの高級リムジンを手配。自身もスーツに着替えて登場すると、今度は許可書も見ずにすんなりと撮影現場に入れてもらえたといいます。

 

少しやりすぎのような、映画の都ならではの話ではありますが、仕事をする上で、技術だけではなく見た目も大切ということは、いつの時代も変わらないようです。

 

ちなみに、このことがきっかけとなったのかは定かではありませんが、シゲタは常にスーツを着用して仕事をしています。決して着崩さず撮影や交渉に臨む姿は、その温和な性格も相まって「本物の紳士」とまで言われたといいます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【作品紹介】

 

《ポートレート(老人の肖像)》 1920年代

ゼラチンシルバープリント 35.5×27.9cm

 

明かりを消した部屋で、椅子に腰かけ咥えた葉巻に火をともす一人の老紳士。手の中からこぼれる光に照らされ、暗闇に浮かび上がるその表情からは威厳と風格が見て取れます。本作品は、ハリウッド俳優ジョージ・アーリスが主演を務めた映画「ディズレーリ(平民宰相)」のワンシーンを撮ったものとされています。シゲタは、同映画のアーリスを何枚か撮影しており、そのうちの一枚は、のちにスミソニアン博物館のコレクションとして収蔵されたといわれています。

ロサンゼルスのスタジオで数多くのハリウッドスターの撮影を手掛け、肖像写真家として順調に成功していったシゲタですが、その成功は長くは続きませんでした。カリフォルニアで起こった排日運動により、シゲタはロサンゼルスを離れざるを得なくなります。新たな活躍の場を求める中で、シゲタは芸術写真や商業写真という分野に出会い技術と表現を高めていきます。そして訪れた新天地シカゴで、シゲタは自らの写真スタジオを立ち上げ、アメリカ社会を魅了する商業写真家へとなっていくのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第3話 注文の多いクライアント ― 助手も驚愕した巧みな修整技術


 

 

写真家ハリー・K・シゲタ。彼の活躍を語るうえで、決して外すことができないのが、その巧みな写真修整技術です。当時の写真修整は直接フィルムに手を加えるものだったため高い技術と精密さが求められましたが、シゲタは手先の器用さを活かし修整技術を習得。高度な技術を用いて生み出される彼の写真は高く評価され、その腕を求めて多くのクライアントがスタジオを訪れました。今回のお話は、スタジオで働いていた助手が見た、シゲタの驚愕の修整技術を物語るエピソードです。

 

ある日、シゲタのもとに舞い込んだ変わった依頼。それは、亡くなった人の撮影。しかも、生前の頃のような目を開けた写真にしてほしい、というのです。早速、シゲタはその亡くなった人のもとに向かい写真を撮影します。もちろん、無理やり目を開けるわけにはいかないので、撮られた写真は目を閉じられたままです。ここからいったいどうするのかと、スタジオに戻ったシゲタを助手が見ていると、シゲタは写真のネガからポジフィルムをつくり、拡大鏡で覗きながらペンをつかって丹念に修整を加えていきます。そして現像、焼き付けを経て出来上がった写真を見てみると、なんと閉じていた目が自然な形で開かれていたのです。それはまるで亡くなった人間が生き返ったかのようだったといい、この作業を難なくこなしたシゲタに助手はとても驚いたそうです。

 

現代ではパソコンひとつあれば簡単にできてしまうことですが、当時はとても大変な作業。修整技術という大きな武器を身に着けたシゲタは、商業写真家としての地位を着実に築き上げていくのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【作品紹介】

 

《ふぶき》 1925年

ゼラチンシルバープリント 35.5×43.0cm

 

吹きすさぶ吹雪の中に2台の馬車が並ぶ風景。雪の勢いは苛烈を極め、進む先も見えない状態に馬は立ち止まり、ただ耐え忍んでいる。見ているだけで寒さが伝わってくる、猛吹雪が表現されたこの一枚は、シカゴのミシガンアベニューを撮影したものとされています。

実はこの写真、シゲタによって修整が加えられたもので、実際に撮影された写真には吹雪はありません。ネガに修整用のニスを塗り、鉛筆で丁寧に修正がくわえられ、凍てつくような寒さが演出されているのです。このように、シゲタは修整を加えることで芸術的に表現した写真を多く手掛けています。これは、技術の高さはもちろんのこと、もともとシゲタが画家を志していたこと、そして、写真を絵画のように自由に表現しようと芸術写真に傾倒したことが大きく影響しています。シゲタはただの写真技術者ではなく、芸術性を兼ね備えた写真家であり、他の商業写真にはないその独自性が彼の評価を一層高めていったのです。

 

 

 

 

 

 

 

第4話 注文の多いクライアント2 ― 困った依頼


 

 

巧みな修整技術と洗練されたデザインによってアメリカ有数の商業写真家となったハリー・K・シゲタ。彼の腕に魅せられた企業は数知れず、シカゴに構えた「シゲタ・ライトスタジオ」には全米から広告写真の注文があったといいます。しかし、注文数が多くなってくると中には無理な内容もあったとか。今回のお話は、そんな困った依頼のエピソードです。

 

ある日、シゲタのスタジオに来客がありました。いくつも部屋があるシゲタのスタジオの立派さに驚いていると、一枚の絨毯の広告写真を見つけます。桜の花が舞う窓から優しい光が差し込み絨毯を照らす、そんな写真だったといいます。客人が「いい写真ですね」と話すと、シゲタは「これはスタジオで撮りましたが、だいぶ苦労しました」と答えたといいます。

 

というのも、この写真の依頼があったのは秋ごろだったといい、桜が咲いている時期ではありませんでした。仕方がないので、スタジオで撮ろうと窓の外に造花で桜を演出しますが、まったく雰囲気が出ません。シゲタは様々に考えをめぐらせ、最終的にある方法を思いつきます。それは桜の写真を原寸大にまで引き伸ばし、色を付け、窓の外に配置してバックにしてしまう、というもの。この方法が功を奏し、クライアントは仕上がりに満足したとか。

 

シゲタは、クライアントが満足する写真を撮影することにこだわりました。当たり前ですが、商業写真家である以上、自己満足の写真を提供しても喜ばれるものではありません。どうすればクライアントは満足してくれるのか、商品をどう見せればその価値が伝わるのか。考えをめぐらせ、自身の持つ力を駆使して依頼主の期待に応えていったシゲタに、数多くの注文が集まっていくのは当然の流れだったといえるでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【作品紹介】

 

《干潮》 1945年

ゼラチンシルバープリント 34.4×39.2cm

 

潮が引いた港の風景。時間は真夜中でしょうか。空は暗く雲が立ち込め、人影もない静まり返った海。そこへ、どこからともなく差し込む一筋の月光が海面を美しく照らし、出航のために潮が満ちるのを待つ2隻の船にひときわ重厚感を与えています。

現実と幻想のはざまを見るかのようなこの写真は、シゲタが追求した写真修整技術の集大成ともいえる作品です。マサチューセッツ州の都市ロックポートを撮影したとされるこの写真。もともとは、光が散漫し手前に漂着物があふれたものとなっていましたが、シゲタはこの風景を見た瞬間に「良い写真になる」と思ったといい、丹念に修整を重ね、まるで絵画のような芸術写真に仕上げています。

「写真を絵画のように自由自在に表現できないか。」写真家の道を歩む中で、シゲタが常に考えていたこの言葉。それを見事に実現した本作に対し、シゲタは「非常に美しい、温かい、人の心を打つ作品となった」と語っています。

 

 

 

 

 

 

 

第5話(最終回) 鳴り止まぬ電話・・・ ― 多忙なシゲタ・ライトスタジオ


 

 

アメリカ有数の商業写真スタジオとなった「シゲタ・ライトスタジオ」。当時の写真雑誌には「シゲタ・ライトスタジオの存在は、アメリカの広告写真が世界一である根拠のひとつ」とまで書かれていました。評判が評判を呼ぶ。そんな言葉のとおり、スタジオには毎日のように依頼の電話が鳴っていたとか。シゲタくんの4コマミュージアム、最後のエピソードは、そんな多忙なスタジオの一幕をご紹介します。

 

いつものように大忙しのシゲタ・ライトスタジオ。ある日、複数の企業から依頼が集中してしまいます。その数、なんと150枚。しかも、すべて手間や時間のかかるカラー写真。そして、制作に許された期間はわずか2か月。とにかくやるしかない、とシゲタはカラー写真担当のスタッフ2人と制作に取り掛かります。どんな仕事にも絶対に手を抜かないシゲタは、この無謀なスケジュールでも、納得のいくまで写真を撮り続けたといいます。結局、2か月の間、昼夜問わず働き続けることとなりましたが、すべてを仕上げ、納品することに成功します。

 

制作も無事終わり、くたくたになりながらも一安心のスタッフ。すると、一本の電話が...さすがにこの漫画のようなタイミングで鳴ったかはわかりませんが、シゲタは「次は講演会だ」と、休む間もなく自身の講演会に向かってしまったそうで、スタッフはただ見送るしかなかったそうです。

 

何ともタフなシゲタですが、講演会は彼にとって特別な意味を持っていました。それは後進の育成。自分の技術を自分だけで終わらせてしまってはいけない。この技術を多くの写真家に伝えることで写真文化を高めよう。そう思って講演会を行ったといい、忙しい合間を縫って多い時には2か月に20回を超えることもあったそうです。

 

「私の使命はカメラによって貢献すること」シゲタはこう話しています。高い技術と芸術性で人々を魅了した商業写真家ハリー・K・シゲタ。その魅力の源は、彼自身の人柄にあったのかもしれません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【作品紹介】

 

《パン》 1950年頃

ダイトランスファープリント 39.0×31.5cm

 

一枚のトレーにおかれたさまざまなパン。鮮やかな彩りと絶妙な光の加減によって生み出された立体感に、思わず目を奪われてしまいます。質感や食感までイメージができそうなこの写真は、コマーシャル用に撮影されたカラー写真といわれています。
カラー写真の技術が確立して以降、広告写真、特に食品の写真はカラーが増えていったといいます。シゲタ・ライトスタジオでも、依頼の半分はカラー写真だったといい、その多くが食品写真でした。スタジオには、食品を撮るために本格的なキッチンが備えらえれ、専属の料理人までいたといいます。
食品写真で大切なことは、当然ですが“おいしそうに見える”こと。しかし、これは意外と難しく、シゲタもこんな話をしています。「パンのときは、バターの溶けかかったところを撮るが、なかなかできない。200枚ほど焼いて、最終的に3、4枚を選ぶ。それだけで半日がかりになる。」たかがパンの写真と思ってしまいますが、その裏では大変な苦労があったようです。
なお、本作品をはじめ、シゲタがスタジオで制作していたカラー写真は、ダイトランスファープリントが用いられています。クリアな発色と高い耐久性が得られますが、高度な技術も求められる手法です。本作品は半世紀以上たった今も色鮮やかに写し出されており、彼の写真へのこだわりがうかがい知れます。

 

 

 

 

 

上田市立美術館コレクション展「光と影で魅せる― 写真家 ハリー・K・シゲタの世界」展のページへ

 

 


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