サントミューゼ(上田市交流文化芸術センター・上田市立美術館) おかげさまでサントミューゼは10周年

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2016年NHK大河ドラマ特別展「真田丸」
企画展示室

見どころ・資料 2016年NHK大河ドラマ特別展「真田丸」

日程
時間
9:00~17:00 ※入場は16:30まで
会場
サントミューゼ 上田市立美術館 企画展示室

見どころ

400年の時を経た現在も「真田幸村」の名で語り継がれる戦国武将・真田信繁―― 戦場での決死の覚悟をあらわした「不惜身命」の旗印「六連(文)銭」に最もふさ わしい人物です。

本展覧会は2016年NHK大河ドラマ「真田丸」と連動し、真田信繁ゆかりの品や、同時代の貴重な歴史資料およそ140件を通して、信繁の人間像と彼が生きた時代の実像に迫ります。伝信繁所用《鉄二枚胴具足》など、上田会場だけでしか見られない資料40件も必見です。

2016年NHK大河ドラマ特別展「真田丸」 上田会場 レポート


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平山優がおススメする特別展「真田丸」上田会場  ココが見どころ


平山先生バナー

子ども記者が伝える 特別展「真田丸」 ココがみどころ!


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展覧会概要


【プロローグ】 日本一(ひのもといち)の兵(つわもの)

戦国武将「真田幸村」。実名は「信繁」。戦国末期の元亀初年(1570)頃に父・昌幸の次男として生まれる。少年期を織田や上杉の人質として過ごし、やがて豊臣秀吉に出仕。大坂の陣にて徳川の大軍と戦い、「日本一の兵」と賞賛された。

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《 真田信繁(幸村)画像 》 (部分)

江戸時代/高野山 蓮華定院
世に多くの模写が伝えられている信繁画像の一番の原本と考えられる肖像画。六連銭紋の裃を着た風貌からは「物ごと柔和忍辱にして強しからず。ことば少にして、 怒りはら立事なかりし」と兄・信幸(信之)に評されたその人柄が感じられる。

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《 鉄二枚胴具足 》

真田信繁所用/江戸時代/大坂城天守閣 ※上田会場のみ展示

真田信繁(幸村)所用と伝わる具足。手甲には真田家の家紋「六連銭」が見える。

【第1章】  武田と真田

武田信玄に仕えて実力を蓄えた真田家。しかし信繁の少年時代、武田家は滅亡。父・昌幸は織田・北条・徳川・上杉・豊臣と従属先を乗り換えて家の存続をはかる。 信繁はそうした父の背中を見て育った。

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《 血染めの陣羽織 》

戦国時代/信綱寺 ※上田会場のみ展示

長篠の戦いで織田・徳川連合軍の前に敗れた武田勝頼。主君・勝頼を守るため信繁の伯父・真田信綱は命を落とす。その信綱の首を家臣がこの陣羽織に包んで真田の里に持ち帰ったと伝わる。

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《 真田昌幸画像 》(部分)

江戸時代/高野山 蓮華定院

豊臣秀吉に「表裏比興の者」と呼ばれた男。肖像画の上には『史記』『漢書』張良伝の一節「謀(はかりごと)は本営で廻らし、勝ちを千里の外に決す」が掲げられている。

【第2章】 第一次上田合戦から小田原合戦

真田家の頭ごなしに上州沼田領を北条に渡そうとする徳川家康。信繁を含む真田一族は、上田城と沼田城に拠って全力で徳川と北条の大軍を撃退。やがて沼田をきっかけに「小田原合戦」が起こり、北条家は滅亡する。

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《 弁(信繁)知行宛行状 諏方久三宛 》 天正13年(1585)/個人蔵 ※注目の 資料

現存最古の信繁書状。第一次上田合戦に際し、上杉景勝に人質に出された信繁が、元服前の名前「弁」(=弁丸)名義で発した家臣への領地支配保証書。

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《 鳥居紋旗指物 》

矢沢頼綱所用/戦国時代/上田市矢沢自治会
真田昌幸の叔父・矢沢頼綱所用の旗指物。頼綱は昌幸から沼田城守備を任され、第 一次上田合戦では攻め寄せる北条軍を見事跳ね除けた。

【第3章】 関ヶ原合戦と真田

豊臣秀吉の死後、家康が台頭すると、(西軍)石田三成はこれを排除しようとする。親子兄弟で東西両軍に分かれる真田家。信繁は父と共に上田で徳川の大軍を阻止するが、関ヶ原で本隊が負けたため、二人は高野山麓へ流罪となる。

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《 豊臣秀吉画像 》(部分) 重要美術品

江戸時代/高野山 蓮華定院 ※上田会場のみ展示
老松を背景とした豊臣秀吉の肖像画。

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《 関ヶ原合戦図絵巻 》(部分)

江戸時代末期/長野県立歴史館 (展示期間:7月20日(水)~8月1日(月))
関ヶ原合戦までの経緯を上下二巻にまとめたもの。上田城攻め、関ヶ原本戦などの様子が描かれる。

【第4章】 真田家と桃山文化

信繁の生きた時代は、「桃山文化」=絢爛豪華と侘び寂びが同時に花開いた活力ある時代。金箔に彩られた華やかな屏風や輸出用の漆器、大胆なデザインの着物や甲冑、そして古の刀剣などがもてはやされた。

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《 大蓮院関係資料 》

江戸時代/芳泉寺 ※上田会場のみ展示
真田信幸(之)の妻・小松姫ゆかりの什器類。本多忠勝の娘が徳川家康の養女として真田家に輿入れしたことを表す三葉葵の家紋が輝く。

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《 柳橋水車図屏風 》(部分)

長谷川宗也筆/桃山~江戸時代/大阪歴史博物館 ※上田会場のみ展示
天下統一へのうねりの中、金銀箔を活用した豪壮な大画面が好まれた。

【第5章】 大坂冬の陣・夏の陣

配流から15年後、信繁は豊臣秀頼の招聘を受け、大坂城へ入城。「真田丸」と呼ばれる出城を築き、攻め寄せる徳川勢に大勝する。夏の陣において、信繁は徳川家康に死を覚悟させるほどの猛攻の後、戦死する。

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《 大坂図屏風 》 (部分)

桃山時代/大阪城天守閣 ※上田会場のみ展示

秀吉時代の大坂城とその城下を描いた現存最古と考えられる作品。真田昌幸らが秀吉のもとに出仕した折に見たのは、この大坂城であった。

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《 真田信繁書状 小壱岐・同主膳宛 》(複製) (慶長20年(1615)3月19日付)/上田市立博物館

「私のことなどはこの世にあるとはお思いになられますな」と姉婿の小山田茂誠とその子・主膳に書き送った信繁最後の書状。討ち死にするわずか1か月半ほど前の心境が吐露されている。

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《 大坂夏の陣図屏風 》

長谷川等意筆/江戸時代中期/東京都・出光美術館 ※上田会場のみ(展示期間:7月2日(土)~25日(月))
激戦が繰り広げられた大坂の陣。戦場の様子はいかなるものか。
信繁は家康本陣に迫り、「真田日本一の兵」と賞賛される。

【エピローグ】 信繁から幸村へ

死後もその活躍が賞賛され続けた真田信繁。やがて「幸村」の名で庶民から大名・幕府にまで知られるようになる。江戸時代から現代に至るまで、戦国のヒーローと して真田幸村の名が色褪せることはない。

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《 真田三代記 》

江戸時代中期/長野県・真田氏歴史館
元禄時代頃に成立した軍記小説。主人公・信繁は「幸村」の名で登場する。徳川家康を追い詰め、最後は豊臣秀頼を奉じて薩摩から再起を図るというストーリー。

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《 錦絵 真田幸村、巡見中の徳川家康を追い詰める 》

月岡芳年画/明治6(1873)年/上田市立博物館
「真田信繁」はいつしか戦国のヒーロー「真田幸村」として語り継がれることとなった。